陸上競技を始めて15年くらい経つでしょうか。自分の競技人生について話していきます!興味ないと思いますが、少し足を止めてください。
中1の時、足が速かった自分は部活を何にしようか考えていました。楽ならなんでも良い。そんな気持ちだった自分に父から『陸上部に入ればゲームを買ってやる』そう言われ、しぶしぶ陸上部に入部したのを覚えています。ここから自分の陸上人生が始まりました。
もともとやる気なんてない自分。中1の頃は顧問がおらず、練習もせず、幅跳び場で砂遊びをしていたので、周囲から”砂遊び部”と馬鹿にされたのを覚えています笑
練習も何をしていいのかわからず、メニューもなく、”ドリル”というなんのためにやっているのかわからない謎の動き。『流し?なんでゆっくり120mも走るの?理由は?』『加速走?なんで10m加速して90m全力なの?それじゃ加速できなくね?』『強制参加の朝練の意味。。。』『自分より遅い先輩たちとの上下関係』陸上競技の本質を理解できない1年間でした。
中2になると、長野県選抜の指導者が部活顧問になり、状況は一変します。陸上競技とは何か、勝ちたくはないのか、勝つために必要なことは?そのためになんの練習が必要?練習の一つ一つの意味を理解しろ、全てが新鮮で地獄でした。
正直、大っ嫌いな先生でした。毎日、吐くほど走らされ、動きを注意され、部活をサボると首を絞められたのを覚えています。今思えば体罰というやつでしょうか???
しかし、その顧問のおかげか、その年に急激にタイムが伸びました。長野県新人戦では大会新記録で優勝。やったことのない走り幅跳びでは、ジュニアオリンピック7位入賞。いきなり全国大会入賞してしまいました。実績が良くても自分はただ地獄の毎日だったので、嬉しさよりも『部活やめたい』としか思っていませんでした。
その中で、2つだけ陸上をやめない理由がありました。1つ目は、大会で優勝したら1万円、大会新記録なら1万円と、親から報酬があったこと。今思えば自分の性格をよく理解していたな。と思います。もう1つは大会で優勝したと時の親の喜んでいる姿を見たかったからですかね。県外どこでも見に来てましたから。
自分の幼く狭い世界では、近くにいる人の喜ぶ顔が意外と快感だった気がします。今も俯瞰的に物事を見れず幼いままなので、困ることは多々ありますが、楽しんで生きていると思っています。
次は高校生活について話します!ではまた!